灯火の先に 第2話


ごく普通の扉。その前に立ち、私は数分立ち止まった。・・・この部屋に入るのは憂鬱。だけど、私がやらないと。ノックをして、中の反応を伺ったが、返事がなかったので1分ほど開けて再びノック。反応がないことを再度確認してからゆっくりと扉が開かれた。
カーテンが閉められているため薄暗い室内はベッドとクローゼット、そして大きめの窓が一つしかないない殺風景な部屋だった。
そのベッドの上には一人の青年。
眠っているのかと思ったが、上半身を起こし俯いていた。

「スザク、起きてた?」

声をかけるが反応はない。
これはもう何時もの事。女性は反応のない青年はそのままに、窓へと近づいた。厚いカーテンを開くと、窓の外には広大な大地が広がっており、この窓からは青々とした葉をつけた木々が、正確に言えば果樹園が視界一面に広がっているのが見える。緑あふれる景色は、心癒される光景といっていいだろう。
上を見上げれば、少し雲はあるが青空が広がっている。
今日一日崩れることはないだろうと、窓を開いた。
涼しい風が室内に流れこみ、女性と青年の髪を僅かに揺らした。
部屋の中の淀んだ重苦しい空気を洗い流すような涼やかな風が吹き込んできても、この部屋の主の気分が晴れることはない。暗く沈んだ表情で、両目を閉じただ項垂れている。再会してからずっとこんな調子なのでもう見慣れてしまった。
見慣れはしたが、見ていて気分のいい姿ではない。

「ご飯、もう少しだから」

返事はない。
これもいつものことだ。
ゼロを狙ったあの爆破テロからそれなりの日数がたち、その体から包帯は取れ、動き回る許可も出たのだが、この青年はベッドから殆ど出ることなく、こうして時間を無駄に過ごしている。
理由は言われなくても解っていた。
あれだけの爆発の中にいても外傷は驚くほど少なく、命の危険性は無かったのだが、本来であれば今回のような場面で体を守るための防具でもある仮面が破損し、その欠片が青年から光を奪い去ってしまったのだ。
視力が戻る可能性はゼロではないとはいうが、そんなもの誤差の範囲。
ナナリーの時のようにギアスで瞼を閉ざされているのとはわけが違い、こちらは眼球が損傷している。おそらく、回復は絶望的だろう。そうでなければ、何時でも手術できるようにと、あちらで治療を受けていたはずだ。・・・ここに来た時点でそれは皆わかっていた。もちろん、青年も。
突然暗闇の中に投げ出された青年は、表舞台から身を引くより他になく、あの日、その手で親友を刺し、その親友から託された願いを叶えるための術を失った。生きる希望も目的も全て失った事で、生きる気力をも失ってしまった。
失う事の辛さは、形は違えど経験はしている。
今まであったものが消える喪失感。
自分の体の機能だからこそ、余計に不安といら立ちが募る。
それはもう二度と感じたくはないほどの焦燥感。

私は脳の中にあった情報を。
彼は脳に伝達するための視力を。

・・・暖かい言葉をかけた所で嫌な思いをさせるだけ。
だから、私は何もわない。

「スザク、今日は散歩日和」

アーニャはそれだけ告げて部屋を後にした。


人が立ち去り、部屋の中には風の音と木々のざわめき、そして鳥のさえずりだけが聞こえ始めた。ベッドの上に座り俯いたままだったスザクは、ゆっくりと立ち上がりベッドから降りた。そして勢いよく手を振り上げると、すぐ傍にあった壁を力いっぱい殴りつけた。大きな音と共に、屋敷が僅かに揺れ、階段を下りていたアーニャは静かにスザクがいる部屋へと視線を向けた後、そのまま階段を降りて行った。

スザクにルルーシュのような頭脳があれば、いや、スザクが戦略家ならかける言葉もあるのだが、スザクは残念ながら頭脳派ではなく肉体派だった。これが手の一本、足の一本なら、それでも荒れただろうがどうにかその状態でも動けるように、戦えるようにと自らを鍛えただろう。義手と義足を自分にあわせて作らせ、KMFも片腕、あるいは片足が無くても操作できるよう改造を施しただろう。
だが、スザクが失ったのは目、視力だ。
見えなければ戦う事など出来ない。
いや、物語のように、盲目でも気配を読んで戦う者はいるのかもしれない。スザクも、つえをつきながらでも自由に動き回り、自分の身を守れる程度には戦えるかもしれない。だがKMFに騎乗する事はもう出来ない。気配を読むには五感を研ぎ澄ます必要があるだろう。だが、それにはゼロの仮面とあの外套は邪魔となる。強力な護衛をつけ、ゼロは戦わなければいいという話でもない。ゼロが失明し、手を引かれて、あるいは杖をついて歩けばそれだけで人々は絶望するだろう。
ゼロは奇跡の体現。
ブリタニアが、黒の騎士団が死亡したと発表しても、再び姿を現した。まるで不死身のようで、何度ゼロを手にかけようとも、再び死を発表されたとしてもゼロは再び姿を現す。そう思っている者は多い。
そのゼロが、治る見込みのないほどの重傷を負った。
人々の希望、人々を導く指導者。
そのゼロがテロにより失明した。
世界を見、悪を見つけるための目を失った。
これからのゼロは、周りにいる人間の耳触りのいい言葉でしか世界を判断できなくなる。嘗てのナナリー・ヴィ・ブリタニアのように、碌な書類など回ってこず、ただそこにいるだけの存在になってしまうだろう。
だから、失明したスザクはゼロに戻れない。
スザクがただのスザクとして、一般人として生きる事は可能でも、ゼロとして生きる事は絶望的なのだ。 既に新たな影武者が、3代目のゼロは用意され、シュナイゼルはそのゼロに従っている。ルルーシュの意思を、願いを知らない誰かがゼロとなり、ルルーシュの願う平和な世界を維持していく。

僕は何だったのだろう。
何のためにいたのだろう。
諸悪の根源、悪逆皇帝として死んだルルーシュとは違い、このスザクの死には何の意味もなく、そもそもゼロになるのはスザクでなくてもよかったのだと言う事実だけが突き付けられた。
ルルーシュの願いを、ギアスを受け取りゼロとしてその意思を継ぐ。
破壊された世界を戦争の無い平和な世界へと作り替える。
それは誰にも譲れないものだった。
だが、こうしてその役目を奪われてしまった。
僕がいなくても世界は動いていく。
日を追うごとに世界は優しくなり、戦争など過去のものへと変わっていく。
スザクがゼロでなくても、ゼロとなれる者さえいればいい。
知恵を出すのはシュナイゼルなのだから、スザクである必要はなかったのだ。
スザクがゼロであることに意味があるとすれば、死者であるスザクは堂々とナナリーの傍に行く事が出来る、ナナリーを見守れると言うぐらいか。

たったそれだけ。

そもそもゼロには運動能力も、KMFの腕も必要無い。
それしか取りえの無いスザクである必要は最初からなかった。
それなのになんで。

「なんで、僕をゼロにしたんだ、ルルーシュ」

思わずポツリとつぶやいた声は、自分のものとは思えないほど弱々しく、情けない物で、ぽつりと水滴が手の甲をぬらした。

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